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ゆきとかぜとうみ

何かもそもそ書いてます。☆感謝。

違うは楽しい というタイトルのつらつら

何でもかんでも“禁止”ってなってからしぶしぶそれに従うのは窮屈だと思っているんですが
そうなる前に出来ることはきっといろいろあると思うのですが
いっそ“禁止”になってしまった方が自分らで細かいルールを決めなくて楽だと思っている人が、今は多いんですかねえ。

ここまでは良くね?ってラインを、多くの人の知恵を出し合って決めていく作業や
○と×の間にたくさんの△▼◇■を散りばめていく作業が社会生活の醍醐味であり、
その過程で生まれるものが“思いやり”っていうんだと思っているのですが、どうなんでしょ。


○と×しかない社会は緊張と相互監視しか生みません。
自分が○側にいるために、自分が×にならないように、必死で他人の×を探す。
その社会にとっての○要素が多い人が“勝ち”で、×が多い人は“社会不適合”だから。
でもその○要素の基準ってのはとても曖昧で、いとも簡単に転換してしまう可能性があることを、○側にいる(いたい)人は知らない(ことにする)。


自分と違うものに片っ端から×を付けていたらキリがないです、
自分とは違うものしかこの世界には無いんだから。
一見同じに見えるものでも“似てる”ってだけで同一ではない。
だったら
「へえ、あれとそれとこれが私と違うんだ、
じゃあ、これからどうする?」
って流れになった方が、発展的かつ楽しいんじゃないかと、思うんですよねえ。


余談:個人的に、自分の完コピだらけの世界は願い下げです。褒め所も泣き所も知り尽くした奴ばっかり周りにいるのすごくやだ(T-T)